2012年1月22日日曜日

肩書きを外した時に初めて人間の価値が決まる

会社の話が続きますが、サラリーマン的というのは楽だが、生きがいがないだろうということを、最近、強く感じています。

私のように、ハイリスクで夢を追い求める生き方は稀有でしょう。無論、不本意ながら、独身に戻ったからできることですが。周囲を見ると、淡々と大過なく仕事をする、趣味として人並みに何かをするというのが主流のように思えます。会社の仕事でも、自分の金ならそうしないだろうな、と思うことが多くあります。購入先や取引金額の決め方について、会社の金だから、そうするのだろうな、と
いう対処を数限りなく目の当たりにしています。細かい話でも、コピーの無駄、長電話等個人ではありえないこともよく見られます。しかし、私が真にそう思うようになったのは、やはり音楽の道に転身してからであると思います。それまでは、やはり「寄らば大樹」の傾向はありましたし、個人的に土俵際に追い込まれたとは言えません。「個人の金=NPOの金」という状況に直面し、そうなったのでしょう。

そうした気持ちは腹も座りますし、度量も必要ですし、人間成長につなげるべきでしょう。

かつては、一応、日立の管理職でしたが、今は平社員、ただ、感じるのは、実力、度量、そして人間力があれば、周囲を引っ張っていけるということです。そうあるべきでしょうし、それが人間の本来の姿であると考えます。それは取引先と折衝していても感じます。おかげさまで、取引先は平社員であっても、自分のお願いは聞いてくれることは多く見られるようになってきました。冒頭に書いた淡々と生きている人間には考えられないことでしょう。多くは組織の一員として、寄らば大樹で生きているから、人間力で勝負できず、肩書きで勝負するからです。自分は月並みですが、「肩書きを外した時に初めて人間の価値が決まる」ということであると信じています。私には、上司には平身低頭、立場の弱い人間には強く接するというのは絶対にできません。

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