2012年1月31日火曜日

毎日寒いですね。

毎日寒いですね。専門知識がなく、原因等わかりませんが、地球温暖化で夏は暑さが厳しいのに相反しており、WHYと思ってしまいます。

以前、エラそうに、早朝練習を日課にし、生活のリズムとして定着してきたということを書きました。大体、5時40分頃起き、一連のことを済ませ、6時20分くらいから7時50分くらいまで練習しています(殆どはラッパであり、最後の10分くらいがピアノです)。それはそれで間違いないのですが、本音を申し上げて、寝床から起きるのも辛いです。一度起きれば問題ないのですが、一大決心が要る感じです。でも、多分、聖人君子でない限り、殆どの人はそうでしょう。ただ、目標があるので、継続できるということも感じていますし、サボると精神衛生上もよくないでしょう。頑張ります。

2012年1月30日月曜日

NPO経営に関するセミナーを受講しました。

1/14、21、28のそれぞれ午前中2時間半、某コンサルティング会社によるNPO経営に関するセミナーを受講しました。

神奈川県はNPO支援に注力していることから、無料でしたが、「ただほど高いものはない」という言葉と相反して、考え方の面で有意義でした。

NPOの経営も企業経営も「ヒトモノカネ」の充実と好循環、広報の仕方等基本的考え方は同じす。異なるのは、「非営利」か「営利」かということですが、NPOといえども赤字では続かず、又、起業家精神という意味では、経営資質はむしろ、NPOの方が重要であるように思えます。

強み (Strengths)、弱み (Weaknesses)、機会 (Opportunities)、脅威 (Threats)を分析し、経営戦略を考えるSWOT分析、市場(customer)、競合(competitor)、自社(company)を考え、経営戦略を考える3C分析、顧客の注意を引く(Attention)、顧客に商品を訴求し関心を引く(Interest)、顧客に商品への欲求があり、それが満足をもたらすことを納得させる(Desire)、顧客に行動を起こさせる(Action)
というAIDMA分析等30年近い会社生活において、OJT(On the Job Training=実践勉強)、社内研修、自費で勉強したビジネススクールでの勉強を通じて、常に考えてきたことですが、ベンチャー的要素を多く持つNPO経営においては、必要不可欠であるのを再認識しました。

又、広報、資金集め等先進NPOの事例の紹介がありましたが、これを如何に音楽事業に応用し、斬新な施策に結びつけるかが当面、至上命題です。

そして、具体的なヒントを得て、きっかけを掴み、いい方向に向けていく為には、常日頃から考えていることが肝要でしょう。偉人と比較するのは甚だ僭越ですが、ニュートンがリンゴの落下を見て、万有引力の法則を発見したこと、アルキメデスが風呂に入り、体積の測り方を思いついたこと等そうした例は多く見られます。私が生業としている音楽においても、大作曲家の楽想も同様です。

何事も順風満帆ということはないでしょうし、それでは面白みもないでしょう。相撲に例えれば、15戦全勝では負ける悔しさがわからず、勝ったり負けたりして、8勝7敗で最後に勝ち越すのが深い人生につながると信じています。三百六十五歩のマーチの歌詞にある「三歩進んで二歩下がる」で前に進むことでしょう。

おかげさまで、このセミナーを通じて、人のつながりも拡大してきましたし、これからも確固たる軸を持ちながら、しなやかに柔軟に社会と接し、自己成長に努め、夢に向けて邁進していきます。

2012年1月28日土曜日

横綱の品格

タイトルは先日、両国国技館で相撲観戦した際、購入した本です。著者は第35代横綱双葉山、戦前の大横綱です。不滅と言われている69連勝、年2場所の時代の12回優勝、内8回の全勝優勝と無敵を誇った方です。勿論、私は双葉山の相撲はビデオでしか相撲は観たことはありません。

多くの名言が散りばめられています。印象に残ったのは、「後手のさき」「受けて立つ」(相手が立てば立ち、機先を制す)」「基本の型を持つ」「頭で覚えるのでなく、体得する」「本場所は稽古の如く、稽古は本場所の如く」です。

これらを完全に自分のものにするには、日々の鍛錬、相当の努力が求められます。

まず、「後手のさき」「受けて立つ」は周囲に対する配慮を行ない、周囲にいい気持ちになってもらいながら、自分のペースに持っていくという意味で、私が求める生き方そのものであると考えます。ちなみに、この言葉、横綱白鵬関もよく使われます。双葉山を尊敬されている証でしょう。

又、「基本の型を持つ」というのは「理論」を自分のものにすることであり、すべての基本でしょう。これに個性、感性、情感といったものを加えることがどの世界でも必要であると思います。

「体感」「本場所は稽古の如く、稽古は本場所の如く」は努力によって初めて可能になることであり、自然体で生きることにつながり、それが成功の基であるということが言えるでしょう。

実に勉強になった名著に接しました。大切なのは、これを知識にするのみならず、自分自身が実践することです。

2012年1月26日木曜日

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」

「購買先と一線を画す」という考えが、今、平日の日中に業務を行なっている会社の購買ポリシーの一つです。親しくなり、購買先の営業の立場、会社としての収益を考慮するようになると、情が移り、値引しにくくなるということがベースになっていると管理職の方から聞きました。

日立では、社内外の中立的立場に立って、購買先との共存共栄を心掛け、短期的にも長期的にも、価格、品質、納期の3原則において、有利購買を推進するというのが基本原則であり、かなり異なります。

書き方が適切でないかもしれませんが、日立は全体を見て仕切るのに対し(横綱相撲)、今の会社は自社の立場を考え仕切る(平幕の相撲)ということでしょう。無論、一長一短ですが、会社対会社といっても、構成しているのは人間、人間対人間の付合いという意味では、理論のみならず、情(なさけ)、思いやり、情熱、心といったものをないがしろにしてはいけないと思います。そして、それによって、お互いを助け合い、長い目で見た友好関係の構築と双方にとって有意義な関係になると信じています。

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」の孫子の名言の通りでしょう。経営学でも、SWOT分析(Strengrh(強み)、Weakness(弱み)、Oppotunity(機会)、Technology(技術)の4つを分析し、具体的経営戦略につなげるという理論)、3C分析(Customer(市場)、Competitor(競合先)Company(自社)の3つを分析し、同様に具体的経営戦略につなげるという理論)があります。意味合いは同じであると考えます。すべての世界で、理論+感情がすべての基本であることを信じています。

2012年1月25日水曜日

8勝7敗で最後に勝ち越すのが深い人生につながる

某民間企業から単年度レベルですが、来年度の助成金を獲得しました。小学生を対象とした音楽啓蒙企画に対してですが、私が嬉しかったのは、この企画は従来、財団法人音楽文化創造が管轄している生涯学習音楽指導員ネットワークという全国レベルの任意団体が事業仕分けで予算がゼロとなり、継続できなくなったもの、国が認めないのを民間企業が認めてくれたのが素直に嬉しかったです。

といい話もありますが、現実は厳しいのを感じています。政治家、自治体、大手企業等に活動拡大の為の資金対策を相談し続けています。異口同音に言われることとして、「有名人であれば、ボランティアでやってくれる、それに対し、まだこれから活動を拡大していこうというレベルの人に対して、金を出す可能性は低い」ということが挙げられます。

売名行為でなく、有名人になる為の斬新な企画を実現する等による広報活動、経営の基本である「ヒトモノカネ」の好循環、斬新な企画立案と実現による個性の社会発信と確立、コンクール入賞を目指した音楽スキル向上といったことが挙げられ、継続して努力していくことが必要不可欠であるのを再認識しています。これからも嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、辛いことが続くでしょう。しかし、だからこそ深い人生につながり、それによって、人間形成、音楽性向上が可能になると考えますし、そうあるべきであると信じています。15戦全勝でなく、8勝7敗で勝ったり負けたりして最後に勝ち越すことが自分に相応しい生き方であると思います。前向きに考え、邁進していきます。

2012年1月23日月曜日

相撲観戦と千秋楽祝賀会





1月22日、両国で相撲観戦し、夜は中村部屋の千秋楽祝賀会に出席させていただきました。上の写真は親しくさせていただいている力士の方々、行司の方との写真です(行事の木村亮輔さん、北島三郎の「まつり」を歌われましたが、滅茶苦茶上手い!)。

まず、本場所ですが、観に行ってよかったと思ったのは、横綱白鵬関の相撲に感動したことです。優勝を逃しているにもかかわらず、モチベーションを保たれ、見事に先場所、全勝を阻止された借りを返し、優勝した大関把瑠都関を倒され、自らの力で責任を全うされたことに魅入ってしまいました。これが真の第一人者でしょう。益々、尊敬の念を強く感じました。

そして、夜は中村部屋の千秋楽祝賀会をエンジョイさせていただきました。残念ながら、全体として、成績は芳しくなく、後援会の幹部からは叱咤激励の嵐でした。しかし、私が感銘を受けたのは親方のご挨拶です。「相撲界の発展の為には、日本人力士、それも大学卒でなく、たたき上げの力士が強くなることが大切である」という相撲界全体を念頭に置かれたお考え、「力士として強くなることだけでなく、立派な人間となるよう育成したい」という人間教育の原点に立ち返ったお考えに聞き入ってしまいました。女将さん共々、尊敬する方であることに間違いないのを再認識しました。

そして、力士の皆様は、叱咤激励を励み、声援と考えられ、精進していただきたいと願っています。皆様、親方、女将さんのご指導により、人間的にすばらしい方ばかりです。一層、応援させていただきます。

又、女将さんのご配慮により、この祝賀会を通じて、MDCの活動も新展開を迎えることができるようになっております。この場を借りて、お礼申し上げます。

2012年1月22日日曜日

肩書きを外した時に初めて人間の価値が決まる

会社の話が続きますが、サラリーマン的というのは楽だが、生きがいがないだろうということを、最近、強く感じています。

私のように、ハイリスクで夢を追い求める生き方は稀有でしょう。無論、不本意ながら、独身に戻ったからできることですが。周囲を見ると、淡々と大過なく仕事をする、趣味として人並みに何かをするというのが主流のように思えます。会社の仕事でも、自分の金ならそうしないだろうな、と思うことが多くあります。購入先や取引金額の決め方について、会社の金だから、そうするのだろうな、と
いう対処を数限りなく目の当たりにしています。細かい話でも、コピーの無駄、長電話等個人ではありえないこともよく見られます。しかし、私が真にそう思うようになったのは、やはり音楽の道に転身してからであると思います。それまでは、やはり「寄らば大樹」の傾向はありましたし、個人的に土俵際に追い込まれたとは言えません。「個人の金=NPOの金」という状況に直面し、そうなったのでしょう。

そうした気持ちは腹も座りますし、度量も必要ですし、人間成長につなげるべきでしょう。

かつては、一応、日立の管理職でしたが、今は平社員、ただ、感じるのは、実力、度量、そして人間力があれば、周囲を引っ張っていけるということです。そうあるべきでしょうし、それが人間の本来の姿であると考えます。それは取引先と折衝していても感じます。おかげさまで、取引先は平社員であっても、自分のお願いは聞いてくれることは多く見られるようになってきました。冒頭に書いた淡々と生きている人間には考えられないことでしょう。多くは組織の一員として、寄らば大樹で生きているから、人間力で勝負できず、肩書きで勝負するからです。自分は月並みですが、「肩書きを外した時に初めて人間の価値が決まる」ということであると信じています。私には、上司には平身低頭、立場の弱い人間には強く接するというのは絶対にできません。

2012年1月21日土曜日

広い視野を持って考え、行動することとは?

生計の為に、12月中旬~会社生活を再開しています。私は日立で20数年、日立で資材業務に従事してきており、その経験、スキル、ノウハウを活かして、某大手企業の関連会社に勤務しています。会社員としてある程度先が見え、このまま定年まで過ごすのは人生の無駄と考え、英断して、音楽普及に人生を賭けていますが、会社の仕事が嫌いで辞めたのでなく、違和感はありませんし、大手だけあって、マネジメントがしっかりされている印象があります。ただ、日立の資材の基本スタンスは社内外の中立的立場に立って、社内外をコーディネートし、有利購買(安くいい物を早く買う)を目指していたのに対し、今度の会社は自社の立場に立ち、有利購買を目指すのが基本スタンスです。この面でカルチャーショックがありますが、これは、日立は規模的には日本を代表する企業であり、社会的責任を重んじるのに対し、今度の会社はそういう風土にないということであるように思えます。裁判で言えば日立は裁判官のスタンスで臨むのに対し、今度の会社は弁護士のスタンスで臨むということであると考えます。例えが適切かどうか別にして、横綱・大関(日立)が相撲界全体を考えるのに対し、関脇以下(今度の会社)は自分が強くなることに主眼が行くのと同様であるように思えます。

無論、一長一短ですが、私が思うに、長期的視野に立てば、共存共栄、WIN WIN関係の継続につながるのは日立流であり、その方がメリットが大きいように思えます。力づくで押し切るのは、その時はよくても、いつの間にかやられるケースもあるでしょう。何事も同じですが、相手の立場、自分の立場を常に考え、広い視野を持って対応すること、一段上の立場で考えることを実行することが人間成長にもつながると考えますし、これからも実践していく意志を持って、生きてい
きます。

2012年1月20日金曜日

NHKの朝ドラから、大いなる力をいただいております。

NHKの朝ドラを震災後、観るのが習慣になっています。4月~9月は「おひさま」、10月~3月は「カーネーション」です。

「おひさま」は震災直後ということもあり、生きる希望、勇気、元気につながる実に感動的な内容であったのを実感しています。私自身、震災の被災者の方々の為の慰問演奏を全国各地の避難所で合計23回実施させていただき、更に、自分自身も資金的に震災により被害を被り、かなり厳しい局面に追い込まれていたことから、心底、前向きな生き方に共感を覚え、力をいただきました。女学校時代の若さ溢れる行動、戦争による悲しい経験、戦後間もなくの前向きな生き方に涙なしに観
れなかったことも多々あります。

そして、今放送されている「カーネーション」も自分にとって、タイムリーです。MDCを立ち上げた直後に開始されましたが、主人公が当時亜流であった女性の洋装普及にひたむきに取り組まれ、種々の艱難辛苦を乗り越え、斬新な企画を立案し、実現していく生き様に対し、実に勉強になっています。ニュートンのリンゴが落ちたことによる万有引力の発見、アルキメデスの原理の発見等常日頃から考えていることが大切であり、努力は裏切らないということ、腹の据わった人格と行動力の大切さ等が脈々と流れており、僭越ながら、自分自身がオーバーラップします。自分の音楽普
及活動はまだ緒に就いたばかりであり、まだまだ先は不透明です。その意味で、毎日、力をいただいております。道は違っても、基本は普遍的です。ライフワークとして、音楽でも新たな世界を築き、発展させていく考えを強くしております。

本当に、NHKの朝ドラに対し、感謝の念で一杯です。

2012年1月19日木曜日

音楽コンクールの是非と人間教育

音楽界では、コンクールで優勝、或いは上位入賞が演奏家にとって、ステータスとして重要視されています。勿論、それによって脚光を浴びる演奏家を否定するつもりはありません。しかし、コンクールは真の音楽の姿であるとは思いません。すばらしい演奏は技術と表現力が相俟って初めて可能になります。技術という面を考えると、音を外す、音程が悪いといったことは極力避けるべきでしょうし、技術力の向上を追求すべきでしょう。しかし、そうしたミスは運不運もありますし、感動を呼ぶ演奏は別物であると思います。コンクールはそうしたミスをチェックし、減点していくという方法を採ることが多く見られます。その意味で、真の演奏の評価とは思えません。更に、メディアを利用した広報につながることも散見されます。優勝や上位入賞を果たせなくても、負け惜しみでなく、優勝者や上位入賞者を凌駕する演奏はいくらでもあると思いますし、私自身、自分自身の技術力と表現力の飽くなき追求を目指し、年齢制限のないコンクールに応募したところです。是非、聴衆に感動をお与えできるよう精進していきます。

尚、中国や韓国では、世界的コンクールで優勝する演奏家に対し、国としてかなりのバックアップを行なっています。文化芸術そのものに力を注いでいる証でしょう。スポーツでもオリンピックで金メダルを獲得すれば、同様と聞いています。又、日本では受験に関係のない音楽や美術の授業時間を削減する傾向にありますが、中国や韓国では逆です。MDCの理念に書かせていただいたように、日本とは正反対と言ってよいでしょう。自分が知る限り、日本を反面教師にしています。こうした面での創造力の醸成を行なうことにより、考える力、知識力、前向きな気持ちを養い、人間力の向上に努めている、ということも聞いています。そうしたことに一生懸命に取り組まない子供より一生懸命に取り組む子供の方が勉強もできるというデータもあるそうです。こうしたことからも、経済効率一辺倒でありながら、国力低下の傾向が見られ、殺伐とした状況にあるように思えてなりません。何としても、こういう風潮を変えていきたいと強く思っています。

2012年1月18日水曜日

教える側と教わる側の相乗効果で初めて上達する。

一昨年の10月~ラッパの個人レッスンを行なっています。最大で7人でしたが、現在は5人です。ただ、今まで20人近く接し、体験レッスンのみで終わらず、ある程度(何ヶ月か)続いたのは約半分です。「情操教育の一環」「何となく」という方々も多くいました。

最近つくづくつく感じるのは、どの世界でも普遍的であると考えますが、教える側と教わる側の相乗効果で初めて上達するということです。レッスン中の指摘事項についてメモする、質問がどんどん来るといった生徒さん達は上達度は早く、そうでなく、指摘事項が頭から消えており、何度も同じことを指摘せざるを得ないような生徒さん達は上達度は遅いです。無論、私がベストということはなく、生徒さん達の個性に合わせた指導も含めて、成長を求めていますが。

先日から教えるようになった中3の音大志望の女の子は3日経っただけで、改善した努力の跡が見られました。この方、凄いと思うのは、お互い1時間/回では時間が足りないと感じることです。2月~1回のレッスンを1時間半で週1回にする予定です。

勿論、そこまでいかなくても、レッスンでの指摘事項を考え、さらえば、確実に上達しますし、目的意識、モチベーション、貪欲さ等があれば、尚更です。

今までいろいろな生徒さん達がいました。理解できないのは、殆どさらってこないでも平気な生徒さん達です。何の為に習っているのか、と思うのが本音ですが、こういう人達は上達せず、結局、長続きしません。レッスンの最初の10秒で、どの程度さらってきたのか、おおよそわかります。ひどいのになると、「さらってこないと、次の段階に進めず、前回の繰返しになり、意味がないし、上達もしない」ということを話すと、「こっちは金を払っているんですよ。貴方は教える義務があるんですよ」という事例もありました。こういうのは時間の問題でやめていきますが。

言いたいのは、音楽が人間教育の一つでなく、サービス業化しているということです。この面からも日本の危機を感じます。又、楽器は生き物、どこかに置きっ放しとなり、埃をかぶるのでしょう。何とも楽器が気の毒ですし、楽器を買いたくても買えない、或いは習いたくても習えない人達のことを考えると、胸が痛みます。

ただ、だからこそ、私の存在意義を見出し、邁進することが必要でしょう。教えることはよく言われるように、自分自身の勉強にもなります。生徒さん達の癖から「人の振り見て我が身を振り返る」ということもあります。生徒さん達との相乗効果を求めて、努力していきます。

2012年1月17日火曜日

相撲観戦に伺いました。




初場所真っ最中です。

40年以上の相撲ファンの私は血沸き肉躍る思いです。

元々、7日目と千秋楽を観戦する予定でしたが、両国国技館での秋場所観戦時に、初場所招待券の応募をし、偶然当たり(日頃の行ない?)、6日目にも伺い、更に、1月17日の10日目が生計の為の仕事である会社の創立記念日であり、休み、平日ということで、席に余裕があり、貴乃花部屋後援会に電話をし、土俵近くの溜席を予約し、伺いました。溜席は2度目でしたが、迫力が物凄いです。言葉では表現できません。士の方々の息づかいが大きく聞こえ、自分が相撲を取っている気持ちになります。臨場感で一杯です。贔屓力士の時は尚更です。ちょくちょくお邪魔させていただいている中村部屋の朝稽古同様ですが、やはり本場所と稽古は違うということも感じます。どの世界も同じです。

又、中村部屋の力士の方々は幕下と三段目の力士それぞれ一人ずつ取組がありましたが、大声で四股名を呼びました。多分、聞こえたと思います。千秋楽の祝賀会で聞いてみます。

ただ、大変残念だったのは、尊敬してやまない横綱白鵬関が負けたことです。実は、昨年秋場所観戦に行った際も負けました。殆ど負けない横綱ですから、私は疫病神かと思ってしまいます。横綱が負けた時の定番である座布団が後ろから沢山飛んできました。

6日目には、三段目の相撲のあと、中村部屋の三段目上位の力士の方々にお会いし、偶然、打ち出し後、両国駅で中村親方にお会いしました。幕内後半の審判部長を務められたあとでした。付け人の幕下力士とも話しましたが、初日の相撲で肩を痛め、まともに当たれなくなっていると言われました。確かに、相撲になりませんでした。こうして悩みを言われ、個人的に親しくなっているのを感じ、それはそれでありがたいです。ただ、今日から休場されました。心配です。私が見る限り、関取になれば、人気が出そうなタイプ、まだ22歳ですし、何とか頑張ってほしいです。

又、6日目、7日目と中入り(幕内土俵入りのあとの休憩時間)に、ミーハーとはいえ、十両の力士達からサインを貰い、ツーショット写真もお願いしました。その中、かつて後援会員だった元益荒雄の阿武松部屋の益荒海関とは当時、かなり親しくさせていただき、お会いしました。彼も私を覚えておられ、「飯野さん、こんにちは」と名前入りで呼ばれました。周囲のファンが驚いていましたが。こ
れも嬉しいことです。冒頭のツーショット写真は益荒雄関とのものです。ちなみに、益荒雄関は規定の身長173センチに満たない第2新弟子検査合格者です。まだ23歳、心底応援しています。

それにしても、今日は負けたとはいえ、横綱は存在感があります。超一流指揮者と同様です。指揮ぶりとは比較できませんが、写真の横綱土俵入りを本当に目の前で見させていただき、感動を覚えました。

更に、場内案内に若い女性が増えているのを実感しています。熱戦のアンケート(今日は私も協力させていただきました)、親方によるグッズ配布と新たなファンサービスに取り組まれているのを感じます。やはり、最も大切なのは土俵の熱戦でしょうが、こうした対応にもエールを送ります。これからも日本が世界に誇る伝統を持つ相撲ファンとして、見守っていきます。

千秋楽、何とか横綱の優勝を見たいものです。そして、いい気分で、中村部屋の千秋楽祝賀会に出席させていただきたいと願っています。














































2012年1月16日月曜日

ドイツ音楽の重厚さに感銘を受けました。

今日、どうしても聴きたいと思い、心待ちにしていた演奏会に伺いました。上岡敏之マエストロの棒による読売日響の演奏会、場所は東京オペラシティーホールでした。

曲はR.シュトラウスプロであり、曲順に、「死と変容」「四つの最後の歌」「ドンファン」「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」でした。

上岡マエストロはヴッパータール交響楽団の首席指揮者を務められ、ドイツを中心にいろいろなオケを振られており、日本でも種々のオケ、オペラで指揮活動をされています。私より2歳若い方です。

一昨年、上岡マエストロが振られたヴッパータール交響楽団によるワーグナープロの演奏会を聴かせていただきましたが、ドイツ音楽の権化のような演奏に感銘を覚え、今日は何としても聴きたい演奏会でした。

今日もドイツ音楽の重厚さを基本にした熱い篤い演奏であり、感動しました。上岡マエストロはテンポが遅めの傾向が強い中、前向きさを感じさせる箇所も随所に置き、音楽にメリハリがあり、変なしつこさがなく、説得力を感じさせました。

一流指揮者は振らなくても、指揮台にいるだけで音が変わりますが、今日、それを感じました。ドイツのオケとまではいきませんでしたが、読売日響も重厚な響きを奏で、すばらしい演奏会になりました。

ただ、僭越ながら、どうしても金管が気になるのですが、もっと音が飛んでくれば、より圧倒されたと思います。

又、私も指揮活動を行なっていますが、上岡マエストロは棒を持つ右手を大きく振り、左手を多用しない指揮ぶり、これは何故?とも思いました。いずれお聞きしたい質問です。

やはり、

2012年1月15日日曜日

センター試験

昨日、今日とセンター試験が実施されました。国公立大学が対象であり、音大も入っています。

実は、一昨年、名手として知られている元チェコフィル首席トランペット奏者の公開レッスンを受講しましたが、その時、やはり受講していた神奈川県の公立高校の音楽科の女子生徒と懇意にさせていただくようになりました。この方、実に技術、音域といった技術的な面は勿論、心が感じられる音色、表現をされます。何とか本番を聴かせていただきましたが、ただただ聴き入ってしまいます。高校生とは思えないのが本音です。その後、私が通っていた東邦音大の中高コンクールで優勝しましたし、それ以外にもあちこちのコンクールで優勝、入賞を繰り返しています。コンクールの是非は別に書かせていただきますが、凄いのは事実です。

私は光栄にも、2度本番を一緒に演奏させていただきましたが、実に勉強になり、楽しかったのを今でも鮮明に覚えています。

そして、この女子生徒の方が、芸大受験の必要性から、昨日、今日とセンター試験を受験されました。ただ、音楽家を目指す者には、暗記力が試される試験は不要であるように思えてなりません。国公立大学だからということで、杓子定規に一律に扱うことが私にはまったく理解できません。2月末の芸大の試験に進まれたようで、安堵しましたが、それとこれとは別です。

一般教養は大切です。しかし、それは暗記力でなく、考える力を養う土壌にすべきであると考えます。その意味で、例えば、文型であれば、歴史でも国語でも英語でも、持込み可で考え方を問うような試験にならないものか、ということをつくづく思います。無論、これは普通大学でも同様である、日本の国力低下の一因になっているように思えてなりません。論理的思考力と思いやり・情緒・感性の両面を大切にした教育が必要であると信じてやみません。

2012年1月14日土曜日

篤い熱い女子プロ野球から多くのことを学んでいます。

ここ2日間、「ちょっといい話」とは逆の話を書かせていただきましたが、決して後ろ向きな気持ちになっていることはありませんし、己の道を信じて歩く、いや走っていくという思いです。

ところで、タイトルの女子プロ野球、ご存知ない方も多いと思います。一昨年、京都と兵庫の2チームでスタートし、今シーズンから大阪にもう1チーム増え、3チームになりました。関西に基盤を持つわかさ生活という健康食品会社がスポンサーとなっており、トップは私にとっては、小学校6年生の時の夏の甲子園のヒーロー、初代アイドルの太田幸司さんです。太田幸司さんは青森県の三沢高校のエースとして、決勝に進出、四国の強豪松山商業と延長18回0対0の引分け再試合を演じ、再試合は4対2で負けましたが、全国に感動を呼びました。三沢高校卒業後、主に近鉄で活躍されましたが、私には甲子園の思い出が強烈です。

各チーム10数名のチーム編成であり、まだまだ先が不透明であることから、資格取得の為の勉強をされており、人気拡大の為の種々の企画参加も頻繁であり、選手の皆様は休む暇がない状況です。

私自身、一昨年の夏、自宅付近をランニングしている時に、神宮球場で試合があるのをポスターで知り、伺いました。恥ずかしながら、それまでは存在すら知りませんでした。そして、その際、神宮球場のグラウンドで、試合前のイベントの一つで、選手お二人とキャッチボールをさせていただきました。神宮球場は東京六大学野球、プロ野球の観戦にちょくちょく伺っていましたが、グラウンドに足を踏み入れたのは初めて、そして、プロ選手の方々とキャッチボールもでき、いい思い出になりました。

とにかく、何よりも、その試合にただただ魅入られました。とにかく、ひたむきにボールを追い続ける姿勢にプロとしての意識と高校野球のような篤さ、熱さの共存を感じました。

私は彼女らと同様で、二束のわらじで夢を追い続けています。彼女らと同様、朝から晩まで何かをやっています。その意味で、彼女らは生きる手本です。

彼女らのブログへのコメントを通じて、親しくさせていただくようになった選手も多くいます(一昨年の試合で親しくさせていただくようになった選手の方々が京都アストドリームス所属であり、京都の選手の方々です。ブログへのコメント、手紙のやりとりでコンタクトさせていただいていますが、これらは私にとって、実に楽しい時です)。

昨シーズンは8月の関東の2試合と9月の京都の2試合を観戦しました。またまた感動したのは勿論、選手の皆様とお話させていただき、力、元気、勇気もいただきました。

ちなみに、今シーズンの試合前の企画ですが、関東では遠投テストでお恥ずかしい27メートルでした。ただ、京都では、試合前のイベントでスピードガンコンテストに参加し、偶然、ストライクが入り、観客席のどよめきを呼びました。肝心のスピードは68キロでしたが(笑)。又、試合後の企画(グラウンド探索、選手の方々とのゲーム等)も盛り沢山でエンジョイしました。

ということで、是非、皆様も女子プロ野球を応援していただければ、嬉しく思います。

写真は昨年の京都での試合後のものと一昨年の神宮球場グラウンドでのキャッチボール後のものです。







2012年1月13日金曜日

礼節を重んじた個性、自主性の発揮

私は、昨年12月~生計の為に、大手企業の会社員として働いています。日立で一貫して資材業務に携わり、その経験を活かした仕事を行なっています。元々、会社の仕事も趣味のようなもので、好きであり、それはそれでやりがいも感じています。ただ、時間的にはきついこともあります。平日は楽器の練習と勉強は早朝と帰宅後に各々2時間ずつくらい使っていますし、それ以外にMDCの仕事も合間を見て行なっていますが、とにかく無駄な時間を費やさず、やるしかない気持ちです。

会社生活を再開し、丁度1ヶ月くらいになりました。仕事上疑問に思うことも多々あり、敢えて多くの人に意見を求め、それか所属部署の部長に確認しています。驚くのは、多くの人(定年前後の世代の人が殆どです)が「意味はわからないが、必要と言われ、やっているだけ。何も考えずに言われた通りするのが仕事。それが嫌なら会社員は務まらない」から異口同音に言われることです。勿論、部長は明確なポリシーを持っており、これからもどんどん思うことを言ってほしいと言われますが。

今の日本の縮図を垣間見る思いがします。大過なく過ごす、燃える気持ちでなく、淡々と仕事をする、というのはかつて成長期にあった日本ではレアケースであったと思います。

又、幹部には平身低頭の態度を示し、立場が下と見ている人間には高飛車な態度で接するケースにも遭遇します。

私はかなり多くの年上の部下と一緒に仕事をしましたが、かなり気を使っていましたし、今でも年賀状のやりとりをしています。私は肩書きを外した時に初めて人間の価値がわかるという考え方を信念として持っています。明らかに彼らとは異なる考え方でしょう。本意でありませんが、こうした人種とはつかず離れずがいいと思うようにしています。

そこで、サマリーとして、最後に一言、「礼節を重んじた個性、自主性の発揮」が今の日本に求められます。私はそれを追求していきます。

「法律は弱者救済が原則」「法はモラルより上位である」

最近、ラッパの個人レッスンで指定時間直前にドタキャンされ、その後、何度連絡しても音信不通、結局、レッスンはその後未実施のまま、逃げられ、キャンセルに伴う会場費、交通費全額、私が支払うこととなったことがあります。

この方、40歳代前半の男性です。2度レッスンしましたが、明らかに社会常識が欠如していると感じていた矢先、想定内の事態となりました。その前にレッスンを断ればよかったと思っていたのですが。

「法律は弱者救済が原則」「法はモラルより上位である」、これは先日、法務事務所にこの件で相談に伺った際、言われた言葉です。この場合、ドタキャンした証拠は残っていないことから、裁判所で取り上げることはありえないとのこと、仮に、取り上げられたとしても、私はレッスン教室という組織の長として個人に対して、ビジネスを行なっていると見做され、立場上不利とのことです。下手すると、こちらが恐喝罪として訴えられる可能性もあるとも言われました。

私には、「弱者救済」でなく、「悪者救済」に思えます。又、古代から語り継がれている思想は現代でも普遍的ですが、法律は時代と共に変わります。その意味で、本来、考え方として、モラルは法律より上位にあるべきであると考えます。といっても、話は先に進まないので、これは今後の勉強材料として、考えるように致します。生徒との間で契約書の類を取り交わすことがまずは必要、杓子定規でなく、落ち度がないように作成します。この程度であれば、会社生活で慣れており、自分でできますし。

2012年1月11日水曜日

カーネーション

花の名前ですが、NHKの朝ドラのタイトルです。昨年10月~今年3月迄続き、丁度
半分くらいまで来ました。大正時代~始まり、昭和21年迄辿り着きました。

ファッションデザイナーコシノジュンコさんのお母様が主人公であり、日本がまだまだ西洋事情から遅れていた時代、戦争、戦後と一貫して、洋服のデザイン、販売に邁進されてきた実話です。

昨年の震災直後から始まった「おひさま」にも泣かされ、自分自身、かなり苦しい時期と重なり、力をいただきましたが、「カーネーション」も同様です。

人に依存せず、慶應義塾の理念である独立自尊さながら、艱難辛苦も経験しながら、周囲に左右されず、当時の日本ではまったく根付いていなかった洋服のデザイン、販売という新たな世界を構築してきた話は音楽の事業化という新たなビジネスモデルを作り、日本が軽視しているように思える情緒、感性の大切さを社会発信しようという私の生き方がオーバーラップします。

そして、このドラマの根底には、儲けを目的とせず、社会に喜んでもらい、結果として、その対価として、謝礼をいただくという考え方が流れているように思えます。営利企業も利益至上主義でなく、利益=対価、利益を社会に還元するという考え方を持つべきであると思います。音楽もそうですし、どの世界でも普遍的な理念であると信じてやみません。

又、「好きなことを仕事にするのは大変である」「好きなことを仕事にするのは強みになる」という相反する言葉がタイミングをずらせて、台詞になったことが強く印象に残っていますし、我武者羅な行き方、猪突猛進を実践される姿も大きな刺激になっています。私は周囲から熱さ、行動力があると言われますが、生きる手本です。これからもその生き方を貫きます。

2012年1月9日月曜日

ラグビー精神

観るスポーツで好きなものにラグビーがあります。世間的には、サッカーの方が人気がありますが、私はラグビーの体のぶつかり合い、熱さに惹かれます。サッカーファンを蔑視するつもりはまったくありませんが、サッカーで残り5分で2点差あったら、もう逆転は不可能に近いでしょう。一方、ラグビーは1トライ5点ゴール2点の合計7点が1度に入る可能性があり、13点差以内であれば、まだまだ勝負の行方はわかりません。

この3連休、7日は高校ラグビー決勝、8日は大学ラグビー決勝、9日は各地でサッカーのJリーグに当たるトップリーグが開催されました。正直な話、音楽は休みの日に仕事が入る、集中した練習や勉強が必要になるといったことが多く、なかなか観戦に行けず、残念です。時折、テレビで観戦する程度になってしまいます。今はそういう時かもしれませんが。

 私が応援しているのは、トップリーグのサントリーサンゴリアスと母校の慶應義塾大学です。多くのサントリーの選手達と顔見知りにさせていただいていますが、好青年が多く、すばらしいものを感じます。一部のプロ選手を除き、多くはサントリーの社員であり、二束のわらじであることに私自身がオーバーラップし、親近感を覚えます。彼らと話していて感じるのは、思いやりと主体性を兼ね備えているということ、きっと会社の仕事でも有能であると想像します。又、千代田計装調達部での勤務を開始し、サッカーのJ2に当たるトップイーストの横河電機の営業マンで元ラグビー選手の方々とも親しくさせていただくようになりました。やはりサントリーと同様の印象があります。

 ラグビー精神は二つの言葉に代表されます。

 一つは"One for All, All for One"(一人はすべてのために、すべては一人のために)です。チームワークと主体性の共存を目指したどの世界でも普遍的な意味を持っていると考えます。自分の主張に固執する、ノンポリで組織に依存して生きるといったことと正反対であり、折に触れ、自分自身に当てはめて、考えるようにしています。
 
 もう一つはノーサイドです。ラグビーの試合終了を指します。試合が終われば敵味方がなく、皆仲間という意味です。この考え方が世界に浸透すれば、もっともっと住みやすい地球になると思います。

 正月にラグビー特番がいくつかありました。特に印象に残ったのは、新日鉄釜石が日本選手権7連覇を果たした新日鉄釜石対同志社大学の試合を当時、エース的存在であった釜石の松尾雄治さんと同志社の平尾誠二さんの解説で振り返るという企画です。

 松尾さんの言葉で印象に残っているものを列記させていただくと、「勝ちにだけこだわっていけない」「意図のないプレーは相手を優位にする」「受けに回らず、前へ」「パスは心」「機会が来るまで辛抱する」といったものが挙げられます。これは収益拡大を目指す企業、勝利を目指すスポーツ、ソロとアンサンブルの両面で突出した演奏が求められるオーケストラ等にもいえることでしょう。又、「元気は不可欠」「究極は無心」「集中力」という言葉は演奏でも同じです。

 そして、松尾さんの明るさ、ウィットに富んだ語りに尊敬の念を覚えました。ああいうすばらしい方が語られると説得力を強く感じます。自分自身がそうなるよう見習います。

 2019年にはラグビーワールドカップが日本で開催されます。もっともっとラグビーが盛んになることを願ってやみません。

2012年1月8日日曜日

トランペットのレッスン

昨日、自分自身、トランペットとピアノのレッスンでご指導いただきましたが、自分自身もトランペットのレッスンで生徒お二人への指導を実施しました。

ここからは、トランペットと書くのは面倒であり、日常用語であるラッパと書かせていただきます。

まず、自分自身が受けるラッパのレッスンですが、どうも東邦音楽短大退学、震災支援、資金支援いただけるMDCのパートナー探索に悪戦苦闘したこと、仕事探しに半年要し、一時は生活に支障が出かねない状況に追い込まれたこと等いろいろ経験させていただいたことが、音の出し方にいい影響を与えているような気がします。これは、30年ちょっと前の学生時代とここ10数年の演奏を比較し、公私に亘る楽しい経験、辛い経験により、大きく演奏スタイルが変貌したことからもわかります。音楽は人格、性格等を反映するものですし、そうあってほしいものです。

手前味噌ですが、師匠から、「段々上手くなっている」というお褒めのお言葉をいただきました。生涯成長を目指す自分にとって、実に嬉しいことです。実は、今日、54歳になったのですが、「青春は心の若さ」、一条の向上を目指します。

ただ、ピアノは練習時間の確保が大変であり、気持ちが手に伝わりにくいのを感じています。やはり、「練習は裏切らない」ということでしょう。ピアノは音楽家にとって基本、何とかやりくりしていきます。

そして、教える方ですが、実は一昨日、中学3年生の音大志望の女の子への初レッスンをしました。初めて3年とのこと、さすがに結構吹けますし、センスもあり、反応が早いです。自分の40年近く前よりはるかに上です。ただ、自己流であり、基本から学んでいないので、そこからです。といっても、何よりすばらしいのは物凄い意欲、やる気が感じられることです。こんな真剣に取り組んでくれるのであれば、何とかしたいという気持ちです。ただ、音大を受験するのであれば、受験に際しては、その音大の先生に師事すべきであり、それまでに基本を教えていきたいと思います。私自身の真価も問われるでしょうし、成長につながるでしょう。お母様から、「帰ってきてから、とても喜んでいました。宜しくお願いします」というお電話もいただきました。これは正に「子は親の鑑」の見本でしょう。これから毎週、有意義な時間を持てると思います。楽しみです。

実は、ラッパの指導を始めてから、2年強になります。その間、体験レッスンだけで終わった生徒も含めて、20人近くに接しました。勿論、すばらしい生徒さんが多くいます。しかし、そうでないと思われる生徒にも多々遭遇しました。例えば、いつもレッスンとレッスンの間に一度も楽器に触ることがない生徒もいました。レッスンの最初の5秒で、どのくらいさらってきたか、わかります。そこで、「さらってこないと、同じ指摘の繰返しですし、1日サボると自分がわかり、2日サボると周囲がわかり、3日サボると皆わかるという言葉もあります。極力毎日さらって下さい。無理でも週に2~3日はさらってきて下さい」と言ったら、「こっちは金を払っているんですよ。貴方は教える責任があるんですよ」という返事でした。この生徒さんはこちらから指導を辞退しました。或いは、レッスンがドタキャンとなり、レッスン会場のキャンセル費用が実費で掛かっており、自分が立て替えているにもかかわらず、一向に構わない生徒もいます。レッスン自体は2回しか実施しておらず、続ける気持ちがないのもわかりましたが、私が立て替えるのはおかしいことから、メール、電話、手紙で督促しても、音信不通、ご家族は我関せずです。不快感で一杯です。やむを得ず、法律の専門家に相談しますが、こういう事例は大なり小なり多く見られます。

どうも、音楽がサービス産業化しているということにように思えます。生徒さんに高校の先生がおり、聞いてみましたが、学校も同様とのことです。MDCの設立趣意書、理念に書かせていただいたように、私は日本に対する危機感を持って、転身しました。自分自身がこういう経験をするということも人間形成、有意義な音楽活動にとって必要と思うことが肝要でしょう。

人生、何事も経験です。逃げては何もできません。頑張ります。

2012年1月7日土曜日

マラソンの川内選手から大いなる刺激をいただいています。

テレビで、男子マラソンのロンドンオリンピック候補の川内選手の特集を観ました。かなり知名度が上がっており、ご存知の方が多いと思いますが、彼は埼玉県庁職員であり、所謂市民ランナーです。無論、素人ではなく、学習院大学と陸上は決して強くない大学の学生として、学連選抜の一員として箱根駅伝にも出場した実績をお持ちです。

レベルの差はあれ、同じ市民ランナーであり、又、私も音楽と会社の仕事の二束のわらじで同じ境遇、他人事でなく、真剣に観ました。

心に強く残ったのは、「フルタイムの仕事が苦にならない、むしろ走りたいという意欲を掻き立て原動力になっている」という前向きな考え方です。又、レースに多く出場することも含めて、練習を工夫し、走行距離不足を補われているとのことです。

どうしても、自分自身がオーバーラップします。自分自身もフルタイムの会社員に戻っていますが、早朝練習、帰宅後の練習、勉強、MDCの仕事にいそしんでおり、休みは正にフルタイムの音楽家兼MDC理事長です。というと、かなりきつそうに思われそうですが、川内選手同様の考え方、気持ちであり、逆に充実している、常に気が張っている、1分たりとも無駄にできないという風になり、いい方向に進むよう考えています。

無論、本音を言えば、すべてを音楽に費やしたいとも思うこともあります。しかし、物事考え方でしょう。おかげさまで外部に大いなる協力者、賛同いただける方々が増えてきており、MDCの仕事はそうした方々のご尽力により、平日の日中を使えないというハンディを少なくしています。ありがたいことであり、この場を借りてお礼申し上げます。

多分、川内選手の場合も協力者があって初めて可能になる練習、休息もあると思います。同じでしょう。

川内選手から大いなる刺激をいただいています。ありがとうございます。応援しています!!

NHKの朝ドラ「カーネーション」で、「好きなことを仕事にするのは一番大変である」という言葉と共に、「好きなことを仕事にするのは強みになる」という言葉も出てきます。私の場合、両方が共存していますが、元気に前向きに邁進していきます。

2012年1月6日金曜日

謹んで松平康隆さんのご冥福をお祈り申し上げます。

世界のバレーボール界の重鎮である松平康隆さんがお亡くなりになられました。面識はありませんが、思い出深い方であり、残念でなりません。何といっても、男子バレーボール監督として臨まれた1972年のミュンヘンオリンピックの金メダルが思い出されます。東京オリンピックの銅メダル、メキシコオリンピックの銀メダルと8年計画の集大成であり、大願成就され、ただただ感動したことを鮮明に覚えています。私は中学3年であり、高校の受験勉強中でしたが、深夜のテレビで準決勝のブルガリア戦を必死に応援しました。セットカウント2対0からの大逆転、最終セット9対3の絶体絶命からの大逆転に、我を忘れました。決勝は東ドイツにセットカウント3対1で快勝、立派な金メダルでした。
 
 今でも、背番号順に選手の名前をそらんじられます。1番南、2番猫田、3番中村祐造、4番西本、5番木村、6番深尾、7番野口、8番森田、9番横田、10番大古、11番佐藤、12番島岡です。
 
 松平さんはいい意味の体育会系であり、「負けてたまるか」という気合いを基本とした知性と情熱を兼ね備えたすばらしい方であったと思います。

 又、東京オリンピック以来、バレーボールの主流は女子でしたが、メディアを駆使され、男子の人気向上に注力されたことは今、MDCを立上げ、人生を賭けている私の生きる手本です。時代は変わっても普遍的な考え方であると思います。ミュンヘンオリンピック前には、アニメ「ミュンヘンへの道」を毎週楽しみに観たものです(金メダルにより、その後、再放送もありました)。

 そして、松平さんが慶應義塾OBであることも私が慶應義塾高校進学を強く希望した要因の一つになりました。誇れる先輩です。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2012年1月4日水曜日

やはり生が一番です。


 タイトルはビールのことでありません(笑)。

 昨日も箱根駅伝を生で応援しました。ランナーの写真、沿道の人混みとランナーのスピードで上手く撮れませんでした。
 復路は往路と比較して、ぶっちぎりトップの東洋大初めタイム差が感じられましたが、それに関連して、集団で走らず、単独ランが多く、各校の伴走車から監督の指示、檄がよく聞こえました。よく解説が「今、監督は何々を指示した」というのはこれを言うのかと思いました。
 私のランニングに置き換えると、沿道の応援は別にして、率直に、適宜、指示を受けるのはありがたいものの、年がら年中ですと、煩わしいのでないかという印象を受けました。勿論、箱根駅伝のランナーは3分/キロが目安に対し、私の場合は全盛期で4分/キロが目安とレベルの差はありますし、意気込みも考えると、単純に比較はできないでしょうが。
 又、あくまでも大学生であり、教育の一環であると思います。これは私見ですが、過度な指示は自主性、主体性を養うという面でどうかとも感じました。前方や後方のランナーの状況を伝え、自分でレースプランを組み立てるのがランナーとしての成長にもつながるように思えました。
 といっても、やはり生は格別、感動をいただきました。選手の皆さん、ありがとうございました。

 生という意味で、これも私にとって、正月恒例ですが、NHKニューイヤーオペラコンサートをNHKホールで生鑑賞しました。今年は、東日本大震災を考え、タンホイザーの「巡礼の合唱」による祈りで始まり、キャンディードの「メイク・アワ・ガーデン・グロウ」による前向きに生きる気持ちを全員で歌い、終わる、そして、副題の「愛に満ちて人は歌う。愛を力に人は歌いつづける:を感じさせるストーリー性がある全体の構成であり、すばらしかったです。
 特に、福井敬さんお「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」、中嶋彰子さんの「ボ・エーム」の「私が町を歩くと(ムゼッタのワルツ)」、堀内康雄さんの「トスカ」の「テ・デウム」、妻屋秀和さんの「マイスタージンガー」の「親方たちをさげすんではならぬ」、藤村美穂子さんの「サムソンとデリラ」の「あなたの声に心は開く」に感動しました。
 トップクラスの歌い手さんの中の更にトップクラスの何人かの歌にただただ聴き惚れました。もっと日本の演奏家の層が厚くなることを願っています。
 又、オペラは総合芸術であり、舞台演出も重要ですが、凄かったのは、前述の「ラ・ボエーム」の第2幕のムゼッタの「私が町を歩けば」のワルツから終幕に至るところの舞台でした。何でこんな短い時間で大きく変えられるのか、と感じました。プロの成せる業でしょう。
 ということで、今年の正月は終わりました。恒例行事以外は普段と変わらない毎日でしたが、それが今の私には、休息は似合わず、それが相応しいでしょう。

2012年1月2日月曜日

箱根駅伝を沿道で応援しました。





 ランニングがてら、箱根駅伝を沿道で応援しました。写真は応援旗と沿道で配られていた号外です。自宅からランで15分くらいが鶴見中継点から約1キロ離れた当たり、往路は2区のスタート直後です。やはり、選手を生で応援し、順位に関係なく、それぞれの目標に向けて、純粋に頑張ってほしいという気持ちを感じました(母校の慶應義塾が予選落ちで出場していないのは残念なのも本音ですが)。

 私自身、ちょっと前まで、いろいろなレースを走りましたが、沿道の応援は励みになります。特に、ボストンマラソンはさすがネアカのアメリカだけあって、凄かったですし、メジャーレースの北海道マラソンも記憶に残っています。

 きっと箱根駅伝の選手達も同じでしょう。インタビューで、「沿道の声援が励みになった」ということを言う選手が多いですが、実感として、わかります。沿道の応援が途切れない箱根駅伝は尚更でしょう。

 卒業後、実業団で選手を続ける学生、卒業後は別の人生を歩む学生といろいろでしょうが、この経験は選ばれた者の特権、きっと人生に有意義なもの、生きる糧になるでしょうし、そうあってほしいものです。

 そして、私自身、選手達のオーラを感じ、自分自身の力にもなっています。選手と観衆が力を分かち合えるスポーツのすばらしさによるもの、音楽も同様、私の音楽活動もそうすべく、一層、頑張ります。

2012年1月1日日曜日

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

元日の夜、このブログを書いていますが、普段と変わらない一日を過ごしました。「一年の計は元旦にあり」ですが、私は何かしていないと気がすまない性格なので、普段通りが一番似合っていると思います。

朝起きて、新聞を読み、音楽普及活動関連の書類を作成したあと、ラッパの練習をして、1時間くらい近くの鶴見川を走り、スーパーで買ったおせち料理を食べ、音楽理論の勉強、ピアノの練習、再度ラッパの練習をしました。違うのは、時折、テレビのスポーツ中継を休憩がてら観ていたことです。かつては正月特番もよく観たのですが、最近は関心が減っています。何かしていないと気が済まないという度合いが増しているように感じます。

明日は箱根駅伝の1区の終盤の鶴見中継点近くが自宅からランニングで15分くらいのところであり、沿道で応援しようと思います。1区であり、タイム差は少なく、すぐに終わってしまうでしょうが。又、明後日の夜はNHKのニューイヤーオペラコンサートを聴きに行きます。これらは私の正月の恒例行事です。

ということで、正月も稼動しています。