2012年1月19日木曜日

音楽コンクールの是非と人間教育

音楽界では、コンクールで優勝、或いは上位入賞が演奏家にとって、ステータスとして重要視されています。勿論、それによって脚光を浴びる演奏家を否定するつもりはありません。しかし、コンクールは真の音楽の姿であるとは思いません。すばらしい演奏は技術と表現力が相俟って初めて可能になります。技術という面を考えると、音を外す、音程が悪いといったことは極力避けるべきでしょうし、技術力の向上を追求すべきでしょう。しかし、そうしたミスは運不運もありますし、感動を呼ぶ演奏は別物であると思います。コンクールはそうしたミスをチェックし、減点していくという方法を採ることが多く見られます。その意味で、真の演奏の評価とは思えません。更に、メディアを利用した広報につながることも散見されます。優勝や上位入賞を果たせなくても、負け惜しみでなく、優勝者や上位入賞者を凌駕する演奏はいくらでもあると思いますし、私自身、自分自身の技術力と表現力の飽くなき追求を目指し、年齢制限のないコンクールに応募したところです。是非、聴衆に感動をお与えできるよう精進していきます。

尚、中国や韓国では、世界的コンクールで優勝する演奏家に対し、国としてかなりのバックアップを行なっています。文化芸術そのものに力を注いでいる証でしょう。スポーツでもオリンピックで金メダルを獲得すれば、同様と聞いています。又、日本では受験に関係のない音楽や美術の授業時間を削減する傾向にありますが、中国や韓国では逆です。MDCの理念に書かせていただいたように、日本とは正反対と言ってよいでしょう。自分が知る限り、日本を反面教師にしています。こうした面での創造力の醸成を行なうことにより、考える力、知識力、前向きな気持ちを養い、人間力の向上に努めている、ということも聞いています。そうしたことに一生懸命に取り組まない子供より一生懸命に取り組む子供の方が勉強もできるというデータもあるそうです。こうしたことからも、経済効率一辺倒でありながら、国力低下の傾向が見られ、殺伐とした状況にあるように思えてなりません。何としても、こういう風潮を変えていきたいと強く思っています。

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