世界のバレーボール界の重鎮である松平康隆さんがお亡くなりになられました。面識はありませんが、思い出深い方であり、残念でなりません。何といっても、男子バレーボール監督として臨まれた1972年のミュンヘンオリンピックの金メダルが思い出されます。東京オリンピックの銅メダル、メキシコオリンピックの銀メダルと8年計画の集大成であり、大願成就され、ただただ感動したことを鮮明に覚えています。私は中学3年であり、高校の受験勉強中でしたが、深夜のテレビで準決勝のブルガリア戦を必死に応援しました。セットカウント2対0からの大逆転、最終セット9対3の絶体絶命からの大逆転に、我を忘れました。決勝は東ドイツにセットカウント3対1で快勝、立派な金メダルでした。
今でも、背番号順に選手の名前をそらんじられます。1番南、2番猫田、3番中村祐造、4番西本、5番木村、6番深尾、7番野口、8番森田、9番横田、10番大古、11番佐藤、12番島岡です。
松平さんはいい意味の体育会系であり、「負けてたまるか」という気合いを基本とした知性と情熱を兼ね備えたすばらしい方であったと思います。
又、東京オリンピック以来、バレーボールの主流は女子でしたが、メディアを駆使され、男子の人気向上に注力されたことは今、MDCを立上げ、人生を賭けている私の生きる手本です。時代は変わっても普遍的な考え方であると思います。ミュンヘンオリンピック前には、アニメ「ミュンヘンへの道」を毎週楽しみに観たものです(金メダルにより、その後、再放送もありました)。
そして、松平さんが慶應義塾OBであることも私が慶應義塾高校進学を強く希望した要因の一つになりました。誇れる先輩です。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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