2012年1月8日日曜日

トランペットのレッスン

昨日、自分自身、トランペットとピアノのレッスンでご指導いただきましたが、自分自身もトランペットのレッスンで生徒お二人への指導を実施しました。

ここからは、トランペットと書くのは面倒であり、日常用語であるラッパと書かせていただきます。

まず、自分自身が受けるラッパのレッスンですが、どうも東邦音楽短大退学、震災支援、資金支援いただけるMDCのパートナー探索に悪戦苦闘したこと、仕事探しに半年要し、一時は生活に支障が出かねない状況に追い込まれたこと等いろいろ経験させていただいたことが、音の出し方にいい影響を与えているような気がします。これは、30年ちょっと前の学生時代とここ10数年の演奏を比較し、公私に亘る楽しい経験、辛い経験により、大きく演奏スタイルが変貌したことからもわかります。音楽は人格、性格等を反映するものですし、そうあってほしいものです。

手前味噌ですが、師匠から、「段々上手くなっている」というお褒めのお言葉をいただきました。生涯成長を目指す自分にとって、実に嬉しいことです。実は、今日、54歳になったのですが、「青春は心の若さ」、一条の向上を目指します。

ただ、ピアノは練習時間の確保が大変であり、気持ちが手に伝わりにくいのを感じています。やはり、「練習は裏切らない」ということでしょう。ピアノは音楽家にとって基本、何とかやりくりしていきます。

そして、教える方ですが、実は一昨日、中学3年生の音大志望の女の子への初レッスンをしました。初めて3年とのこと、さすがに結構吹けますし、センスもあり、反応が早いです。自分の40年近く前よりはるかに上です。ただ、自己流であり、基本から学んでいないので、そこからです。といっても、何よりすばらしいのは物凄い意欲、やる気が感じられることです。こんな真剣に取り組んでくれるのであれば、何とかしたいという気持ちです。ただ、音大を受験するのであれば、受験に際しては、その音大の先生に師事すべきであり、それまでに基本を教えていきたいと思います。私自身の真価も問われるでしょうし、成長につながるでしょう。お母様から、「帰ってきてから、とても喜んでいました。宜しくお願いします」というお電話もいただきました。これは正に「子は親の鑑」の見本でしょう。これから毎週、有意義な時間を持てると思います。楽しみです。

実は、ラッパの指導を始めてから、2年強になります。その間、体験レッスンだけで終わった生徒も含めて、20人近くに接しました。勿論、すばらしい生徒さんが多くいます。しかし、そうでないと思われる生徒にも多々遭遇しました。例えば、いつもレッスンとレッスンの間に一度も楽器に触ることがない生徒もいました。レッスンの最初の5秒で、どのくらいさらってきたか、わかります。そこで、「さらってこないと、同じ指摘の繰返しですし、1日サボると自分がわかり、2日サボると周囲がわかり、3日サボると皆わかるという言葉もあります。極力毎日さらって下さい。無理でも週に2~3日はさらってきて下さい」と言ったら、「こっちは金を払っているんですよ。貴方は教える責任があるんですよ」という返事でした。この生徒さんはこちらから指導を辞退しました。或いは、レッスンがドタキャンとなり、レッスン会場のキャンセル費用が実費で掛かっており、自分が立て替えているにもかかわらず、一向に構わない生徒もいます。レッスン自体は2回しか実施しておらず、続ける気持ちがないのもわかりましたが、私が立て替えるのはおかしいことから、メール、電話、手紙で督促しても、音信不通、ご家族は我関せずです。不快感で一杯です。やむを得ず、法律の専門家に相談しますが、こういう事例は大なり小なり多く見られます。

どうも、音楽がサービス産業化しているということにように思えます。生徒さんに高校の先生がおり、聞いてみましたが、学校も同様とのことです。MDCの設立趣意書、理念に書かせていただいたように、私は日本に対する危機感を持って、転身しました。自分自身がこういう経験をするということも人間形成、有意義な音楽活動にとって必要と思うことが肝要でしょう。

人生、何事も経験です。逃げては何もできません。頑張ります。

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